音楽シーンの変革なるか
個人的に注目しているブログがある。
野島光太郎という人物による、楽器業界やそれに関わる楽器講師達について鋭い考察を辛口気味に述べるブログであり、現在ちょっとした話題となっている。
文章もよく練られており、業界の関係者かどうかまでは正直分からないが、非常に頭の切れる人物であることは間違いないだろう。
私が注目している点は、野島光太郎氏はその正体が誰であれ、覆面・無名の存在(失礼)であるにも関わらず影響力を持ち始めているという点だ。
これは非常に革命的なことである。
歴史とは勝者が作るものだ。
インディーズ・アマチュア音楽シーン(以下音楽シーン)において、勝者とは何か。
異論はあるだろうが、
・年齢が上(年配者は年功序列が大好き、何故なら自分達が体よく威張れるからね)
・かつて人気があった、人気のあったバンドに在籍してた
・喧嘩が強い(ヤンキーの武勇伝)
・有名人(プロ)との繋がりがあり、イベント成功などの実績がある
といったところだろうか。
いくつかは「今時何を言っているのか」と笑われそうだが、音楽シーンは未だ昭和脳のチンピラ老害がウジャウジャ蠢く無法地帯。令和の常識で考えてはいけない。
このような世界で、実質的に覆面である野島氏が影響力を多少なりとも持つ、ということは音楽シーンにちょっとした革命をもたらすのではないかと考えている。
一部の者(独裁者)に牛耳られている音楽シーンで、戦略的に動く事で、まだ実績に乏しい若者や先述した勝者の定義に当て嵌まらない者でも影響を与えることが可能になる。
これは時代に取り残された業界の健全化への第一歩である。
一般社会では勿論、スポーツ等の他の業界では当たり前の進化・発展も、音楽シーンでは起こることがなかった。(厳密に言えば起きてはいたのだろけど、余りに小規模)
その結果、音楽シーンは時代にすっかり取り残されてしまった。(コロナ禍でオリンピックは開催されたが、ロックフェスは中止されたのは良い例である)
上記に加えて、少なくとも日本社会という枠組み内では、経済面でもスポーツに遅れをとっていることは明白であろう。資本主義が採用されている日本において、経済効果で遅れをとっている芸術分野が優先されることはない。これはスポーツにも言えることだが、本質的にはスポーツも音楽も、「平和な時に観るどーでもいいもの」なのである。公共交通機関や電気ガスなどの様に、無くなって困る類のものでは無いのだ。
だからこそ、経済効果が見込めないものは社会から切り捨てられるのである。コロナ禍という非常事態では当たり前のことだ。
この様な有様でなお、税金がある程度投入され、社会の中で音楽シーン自体の生存が許されていることをありがたく思わねばならない。